[15] 花鳥図

小田原城二の丸御屋形の正面玄関を飾っていたと言われる杉戸絵で、小田原藩お抱え絵師、岡本秋暉が描いたものです。岩に孔雀・桑の木に鳥、鯉に松藤・梅花の4種類の図柄があります。鯉に松藤図のように、杉の木目を水面に見立てるなど、杉戸の特徴を匠に取り入れた技巧が見られます。

[14] かわらけに見る小田原北条氏の世界

かわらけとは、武家社会において儀式や宴会で使われる素焼きの器です。関東地方のかわらけはロクロで成形されるものが主体ですが、小田原北条氏は、手びねりで作る京都系の技術で作られたかわらけを用いていました。これらのかわらけは「小田原物」と同様に、領国内で珍重されて用いられました。

[13] その後の小田原北条氏

小田原合戦後、参陣した武将は国許へと帰り、自国の整備を進めます。その中には、小田原合戦での小田原城の堅固さを評価し、城郭に総構を構築するものもありました。秀吉が造った京都の御土居をはじめ、岡山城・駿府城などはその代表例として著名です。

[12] 石垣山城

1590年4月6日、箱根早雲寺に本陣を構えた豊臣秀吉は、小田原城を見下ろす笠懸山への築城を命じます。そして、秀吉は笠懸山周辺の樹木の伐採を命じ、6月26日に本陣を移しました。82日間で築かれたこの城は、一夜にして築かれたように見せかけたことから、石垣山一夜城と呼ばれるようになりました。